1951-10-30 第12回国会 衆議院 水産委員会 第7号
ところが九月でありましたか、農林大臣を私が御案内を申し上げて根室、釧路地区に入つたときにおいて、坂本北海道会議員がお出迎えになつたのであります。時たまたま根室の坂本与平審議という名刺を出した。それから漁民が二十人ほど農林大臣を迎えたのであります。
ところが九月でありましたか、農林大臣を私が御案内を申し上げて根室、釧路地区に入つたときにおいて、坂本北海道会議員がお出迎えになつたのであります。時たまたま根室の坂本与平審議という名刺を出した。それから漁民が二十人ほど農林大臣を迎えたのであります。
だから北海道会議員が質問せんと欲しても質問をなし得ざる事項である。こちらでは参考人として御参考のために聞きますが、こういうような状態である。こういうことでは私は民主政治は責任政治であるという見地から考えても如何なものかと思います。それから政府委員のことでございまするが、国会議員は北海道から選出されましても或いは鹿児島県から選出されましても国政全般についての最高機関であります。
ただ私たちは、千島というものに歯舞諸島は入つていないということだけは、われわれは長い間北海道の漁業に携わつて参つたのでありまするし、さらに北海道会議員もやつて参りましたので、はつきりわかつております。
そのとき北海道海区入会協議会会長という名前で渡邊照平なる北海道会議員がわれわれに陳情をされました。その当時同様に釧路においてもそういう陳情があつたのであります。これは九月十七日であります。釧路においても、北海道庁においても、水産庁はまことになつておらぬ。それは昨年北海道の資源調査をするということが一つの條件になつておつたにもかかわらず、一つもその調査をしておらぬ。